『装苑』表紙シリーズ
リーナ・エダ17歳
東京代々木・文化出版局スタジオ
日本のデザイナーズブランドを
見事に立ち上げ、
独創的な発想と鋭い感性で、
その腕を競い合い、高め合い、
世界に進出して、その名を残した人達。
そんな新鋭なるデザイナー達が入学し、
新な時代を作り卒業した文化服装学院。
最先端のアートや流行の先駆けを求めて
日本全国から若者たちが、この場所に集まってきた。
その学院と同じ敷地内に、
文化出版局という雑誌社が存在し、
新たな時代や新鋭のデザイナー達を、
この世に生み出していた。
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
『装苑』レース物語
手作りの心地よい服や小粋な小物たち、
こだわりのある作品は次々商品になり、
多くの読者から注目され、大きな反響を呼んだ。
どれもが、デザイナー達の
“魂の作品”といえるクオリティーだった。
私の一番のお気に入りは、
真っ白な木綿や麻のレースのブラウス。
レースのカットが美しく見惚れてしまう。
蒸し暑い夏の季節には、
心地良いだけでなく、
見た目も涼しそうで良い。
久しぶりにこの写真を見つめていると、
何か忘れてしまった
大切なものを思い出させてくれた。
毎日、モデルとして
新しい洋服を着て、写真撮影をする。
そんな日々の中で、
肌から離したくない洋服がいる。
デザイナーの魂が洋服に宿り、
その魂の美しさが心の琴線に触れ、
内奥から呼応する。
とくとく心臓の鼓動が波打ち、
柔らかな波動が
揺らぎとなって私を包むのだ。
木綿や麻は植物として
“いのち”を天から授かり、
デザイナーという人の手を通して、
その“いのち”を美しく開花させる。
そんな風に感じてしまうと、
たまらなく愛おしくなってくるのだ。
いのちが吹き込まれた作品は、
現代に生きる私たちが忘れてしまった
大切なものを、
もう一度、思い出せるように、
そこに佇みながらじっと見つめていた。
私たちの生活は時代と共に便利になり、
昔よりずっと豊かになったはずなのに、
どこかに
魂を置き忘れて彷徨う旅人のように、
大切な何かを失ってしまった。
今一度、立ち止まり、
自分を見つめ直す必要がある。
私たちは便利さの中で何を置き忘れてしまったのか、
私たちは慌ただしい日常生活の中で何を見失ったのか、
自らに問いかける、
自らの在り方や人生の生き方を問う時が来たのかもしれない。
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
『装苑』表紙シリーズ
リーナ・エダ18歳
東京代々木・文化出版局スタジオ
静かな時間を持ち、
大きく深呼吸をしてみる。
今、自分は何を感じているのか、
そっと胸に手をあて触れてみる。
もう一度、あの頃のように、
着心地の良い木綿や麻の洋服が着たくなった。
夜眠る時に着ていた、
柔らかい絹シルクの肌触りも懐かしかった。
彼らは身を包むだけでなく、
私の疲れた心をそっと癒しながら、
優しい波動で抱きしめてくれた。
心から感謝を贈りたい。
ありがとう。
『リナの冒険日記』
『装苑』の企画ページ
毎月、興味深い場所を見つけて、
そこを訪ね歩く素敵な企画だった。
大自然が息づく場所や
文化を感じる場所などが選ばれた。
緑生える大草原や美しい森林公園、
馬や羊が放牧されている広大な牧場、
手作りジャムやピクルスを食べさてくれる粋なお店、
野菜作りや味噌作りをして
大自然で暮らす人々が息づく場所。
そして、
文明開化の匂いや当時の喧騒が
いまだ漂うエキゾティックな港町。
ノスタルジックな気分に誘われ、
古きを良き時代のスピリットに出会う。
そんな瞬間は「時」を忘れてしまう。
今でもすべての場所が心の内にある。
どの場所もそれぞれに印象深く、
過ぎ去りし日の思い出が刻まれている。
その中でもひと際、心の琴線に触れ、
いのちの鼓動を強く感じた場所は、
“魂の記憶の宝庫”から、
この瞬間も息づきながら甦ってくる。
まるで生きもののようにリアルに。
毎月、色々な場所を訪ねては
手作りの洋服を着てモデル撮影をした。
お気に入りの場所は、
大草原や緑豊かな高原だった。
その空間に身を置くと幸せを感じた。
大自然の中で過ごす時間は心安らかで、
慌ただしい日常から離れ、
“魂の息吹”を取り戻すことができた。
草や土の匂い、色鮮やかな花々、
頬をなでる心地よい風に揺らいだ、
人々の顔も穏やかで優しい表情をしている。
子供たちは元気よく走り回り、
大人たちも大きな声で笑っている。
心から解放された時間を過ごしていた。
大自然の中では誰もが、
ありのままの姿で豊かな表情を見せる。
この瞬間は誰もが、
大いなるものと溶け合い、
愛と調和に満たされているに違いない。
『時間という幻想』
昔は時間がゆっくり流れていて、
今は時間が早く流れているように感じる。
なのに、大自然の中に入り、
ゆっくり深呼吸を始めると、
時間のスピードが著しく変化する。
もしかすると
時間というものは不確かな存在で、
私たちの呼吸と共に
時を刻んでいるだけなのかもしれない。
呼吸が忙(せわ)しくなれば、
時間も忙(せわ)しくなり、
日々の生き方まで忙(せわ)しくなる。
呼吸がゆったりすれば、
時間もゆったり流れ、
日々の生き方までゆったりし、
自然の流れを内に感じる。
現代人がよく口にする言葉がある
「時間がない!」だ。
時間は与えられるものでも、
自然に流れているものでもない。
自分が体験として作り出す産物なのだ。
ならば、大きく深呼吸をしてみよう。
この空間いっぱいに意識を広げよう。
すると、時間も大きく拡大し始め、
あらゆることが可能になる時を得る。
とても不思議だ!
まるで生きもののように、
自由自在に収縮し拡大する存在だ。
私が時間を作り出す者なら、
まさに私は時の番人であり、
時空を超えて旅する
タイムトラベラーになれるはずだ。
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
『装苑』写真アルバム
リーナ・エダ17歳〜18歳
『装苑』を通じて、
様々なカメラマンと出会いがあった。
どの写真もカメラマンとのコラボレーションであり、
『装苑』のモデル撮影の多くは、
カメラマンの性格が強烈に反映されていると感じた。
⭐️⭐️⭐️
写真家【藤井英男】
<『装苑』の表紙は藤井英男氏による>
アクティブな藤井英男氏が撮る写真は、
活動的で前向きな女性像が見事に表現される。
⭐️⭐️⭐️
写真家【久米正美】
詩人のような感性の久米正美氏が撮る写真は、
内面性に隠し持つ繊細さや柔らかさが表現される。
⭐️⭐️⭐️
写真家【斎藤亢】
<『装苑』の『リナの冒険日記』は斎藤亢氏による>
繊細さと秘めた感性を持つ斎藤亢氏が撮る写真は、
内面に秘められた魔性や女性の神秘性が表現される。
⭐️⭐️⭐️
写真家【小暮徹】
<資生堂でもコラボレーションしている写真家>
ユーモアと遊び心いっぱいの小暮徹氏が撮る写真は、
女性の柔軟さやお茶目な少女性が見事に表現される。
魅力溢れる写真を撮る写真家の方々との
素敵な出会いに心から感謝!
あ・り・が・と・う
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
マガジンハウス『anan』
『anan』デビュー
リーナ・エダ18歳
マガジンハウス(当時、平凡出版)
当時、大人気だった女性誌『anan』は、
新しいイメージシーンを常に生み出す存在だった。
最新の流行を取り入れながらも、
どこかに強いこだわりがあり、
人と違うテイストを求める
若者たちの魂を揺さぶり、刺激した。
女性誌『anan』は、
編集者のパワーに支えられていた。
そして、有能なスタイリストたちが
己のセンスを競い合う舞台でもあった。
まずは編集者による
紙面のイメージ作りからスタートし、
次に撮影を行う場所のロケハンがあり、
次にイメージシーンに合ったモデル達を選出し、
全体構成を決め、ページに落とし込み、
最後はスタイリストの磨かれたセンスで
腕の見せどころである。
『anan』の紙面を飾る撮影は、
モデル達と洋服と小道具と空間との協演である。
それぞれがユニークな個性を持ったまま
そこに存在し、
美しい調和でシンフォニーを奏でる。
誰か一人でも、
他のものに遠慮するなら
儚くも大調和は崩れてしまうのだ。
予想を超えた素晴らしい作品とは、
こうした大調和のシンフォニーの中から生まれる。
誰かが描く明確な意図さえも、
その調和の足元に及ばないのである。
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
『ありのままの姿』
生命の神秘は、
驚くほどの精妙さの中で存在している。
紫陽花・沈丁花・金木犀・茉莉花
どの花を手にしても、
ひとつとして同じ姿をしたものはない。
私たち人間も一人ひとり違っていいはずだ。
みんな違うからこそ、
素晴らしい世界が生まれる。
みんな違うからこそ、
刺激合い、影響し合い、高め合えるのだ。
植物だって、動物だって、
鉱物さえもユニークな存在なのだ。
“ありのままの姿”でみんな生きている。
人間だけ特別なんておかしい。
大いなるものの創造のままに生きてみよう。
さあ、今日から“ありのままの姿”で歩き始めよう。
もっと軽やかに、もっと自由に、もっと遊んでみよう。
大地の鼓動を感じながら、風に揺らぎ、
太陽の光を全身で浴びながら、木々の木陰で寛ぎ、
大自然の仲間たちと一緒に、すべてを解き放っていこう。
今こそ、この瞬間にこそ、
生命の息吹は無限なるエネルギーを呼び覚まし、
私たちの人生を根底からシフトさせ、光へと導くのだ。
東京のど真ん中で生まれ育った私にとって、
大自然は自分を取り戻すための憩いの場所であり、
美しき魂と触れ合うサンクチュアリー聖域そのものだ。
大いなるものの御心に触れていこう。
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
大自然の中に身を置き、
もう一度、
可憐な花の美しさに目を向けてみよう。
一輪の花の中に、あなたは何をみるだろうか。
野に咲く花達を見ると、
ひとつとして同じ姿のものはない。
私も、あなたも、
“ありのままの自分”を受け入れ、
優しく愛してあげよう。
みんなと同じでいることを手放しても、
もう、いい頃なのでは?
大自然のいのちは多くを語らないのに、
私達に多くの気づきを与えてくれる存在なのだ。
私たちは人間の愚かさを知り、
私たちを見守るものたちの真心を汲みながら、
もう、そろそろ自らの姿に目覚める時期なのだと思う。
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
モデル撮影では、
多くの立ち入り禁止地区に入った。
ロケーション選びで良いとなったら、
みんな貪欲に求め、
正攻法で手にできないのなら、
こっそり忍び込んでモデル撮影を行った。
ハラハラドキドキ、いたずらっ子の気分になる。
なぜか不思議にも、
みんなと一体感が生まれるからなのか、
素晴らしい作品が次々と生まれて来るものだ。
何の刺激もなく、
ゆったりまったり暮らす中で、
鋭い光輝を放ちながら、
人々に影響を与える
力のある作品が生まれるのは難しい。
その理由は明らかだ!
私たちは日常の雑多なことに呪縛され、
自らの“いのちの声”を聞かずに生きているのだ。
世の中を見渡すと、
友という名の敵と真実を話すこともなく、
仮面をつけ、鎧をまとい、今日も戦場へと向かう。
魂は疲れ果て、肉体は病に侵され、死臭が漂う。
そんな大人の真似はしたくない。
嘘で固めた人生を生きるほど鈍感にはなれない。
さあ、若者よ、立ち上がれ!
若き獅子たちよ、真の道を歩むがよい。
大人を手本とせず、己の道を歩むがよい。
天から声が轟き、我が魂を鼓舞して来る。
“ありのままの姿で生きる”ことは難しくない。
自分に偽って生きる方がずっと辛く苦しいのだ。
後はいつ決断し、
新しい人生を生き始めるのか、自らに問うことだ。
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
私にとってモデルの撮影は、
退屈な日常生活を超えて生きる力を与えた。
私の気性や資質に、
モデル生活が合っていたとも云える。
まさに“天賦の才、天からの贈り物”である。
何日、違う人と出会い、違う場所に行き、
新しい仲間と一緒に創造活動を行う。
ひとつとして同じことが繰り返されることがない。
そんな生活のリズムが日常や常識から魂を解放し、
息づく命(いのち)のパワーを私に与えた。
モデル撮影の世界では、
常識はもろくも崩れ落ち、意味をなさない。
どんなに賢い人間があれこれ考えたとしても、
大いなるものの足元にも及ばないのは明らかだ。
自らを知る者こそ、自らを昇華せる力を授かるのだ。
もともと大自然は、
人間が身勝手に所有するものではない。
天地創造論、進化論、流出論、
賢い人間はそれぞれの理屈を並べ、
自らが最も正しいと競い合う。
どの理論も理論に過ぎず、真実ではない。
元々、この広大なる宇宙は、
人間の手でこしらえたものではないのだ。
大いなるものの多様性や多次元性を知るのなら、
すべてはそれであり、すべてはそのものなのである。
人間が発想し想像するものも、
また人間が築きあげ創造しうるものも、
すべては大いなる源から生まれたに過ぎない。
そろそろ、こうした真実に目を向けるべき時である。
そう、ここ数年の流れを受け留めてみると、
新しい夜明けが迫って来るように、なぜか感じる。
眠り続ける大人たちもここで目を覚まし、
大なるものの御心に触れ、真実を知る時となる。
母なる地球は、
人間の愚かさに、ため息してるに違いない。
いやいや、こんな愚かな私たちであっても、
無量なる愛と慈しみを贈り続けている存在のだ。
報恩感謝!報恩感謝!報恩感謝!
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
ファッションモデル
リーナ・エダ19歳
自慢ではないが、
大人の言うことをまったく聞かない私がいた。
そもそも大人を信用していなかったのだ。
彼らの目には、
わがままな子に映ったことだろう。
でも私はまったく気にしなかった。
自らを偽って生きる大人たちに、
褒められたところで意味をなさない。
私は幼少期の衝撃的な出来事をきっかけに、
(※人生の旅シリーズ/10歳の出来事に掲載中)
大人を信じて生きる世界から卒業してしまった。
大人が作り出した社会を信用することもなかった。
あまりにも不確実で裏があり、嘘と偽りに満ちていた。
だからこそ、
この世界に対して“大きな責任”が生まれた。
大人を自分から切り離した時から、
大いなるものとの心の絆が一層深まった。
大人から与えられたものを生きるのではなく、
純粋な心を持つ若者たちが創り出す世界こそ、
真に価値があり、
この世の中に貢献できる唯一のものだと悟った。
実際の年齢が若者でも大人びた人間もいれば、
年齢は高くても若者の精神を失わない人もいる。
ここで語っている「大人」とは、
年齢のことに限らず、
意識としてのあり方、“精神”のことである。
「大人」という文字は、
おとなと発音し、
おとなしいという漢字もこう書くのだ。
つまり簡単にいえば、
宇宙の子供としての“ユニークさ”を失い、
神仏の子としての“ありのままの姿”を失い、
おとなしく小さな箱に納まっている人間のことだ。
我がままで良い!
「我がまま」は身勝手に生きるということではなく、
大宇宙が思うがままに私たちを活かし、
“ありのままの姿”で生きる姿勢そのものなのだ。
自分の心の声(ハート)にエールを送り、
天から授かった“いのち”をすり減らすことなく、
“いのち”をますますピカピカに輝かせて生きることだ。
自分の選択を信頼し、
他人の戯言に左右されず、
十全にトータルに生きる姿こそ、真実なのだ。
その時、我らは宇宙と共鳴し、
神仏の御霊(スピリット)を、
この地に体現させる者となるのだ。
合掌
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
不思議な縁に導かれながら、
私リーナ15歳、
仲良しの女友達ティナ17歳は、
日本一のモデルクラブに在籍することになった。
そして18歳から22歳まで、
トップモデルとして走り続ける日々を送った。
モデルの仕事は、プロ意識で取り組んだものだ。
相手が要求するものを素早く理解することが大事だ。
そこで相手の要求通り100%で応えたのなら、
予想通りであり、当たり前の仕事となる。
だからこそ、私は常に120%で応えるよう心がけた。
こうした意識はスタッフ全体の意識を高め、
予想をはるかに上回る素晴らしい作品が生み出された。
人と人が出会い、人と人が触れ合い、
同じ想いを共有し、同じ場を共有する時、
宇宙のダンスが始まるのだ!
決して独りでは踊ることのできないダンスを。
みんなありがとう!
さあ、今日も素晴らしい作品を世界に生み出そう。
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️