GRACE CLUB

Perfomance
リーナ・エダ実績

新しい視点と発想で時代を開く

GRACE CLUB
グレースクラブ
1983年〜1985年 grhcap_1『ROYAL GRACE HOTEL』
淡路島・ロイヤルグレースホテル

リーナ・エダ
新事業ホテル・プロジェクトメンバー
コミュニティークラブ発足 企画制作
ホテル・リラクゼーションプログラム 企画制作

1983年、兵庫県・淡路島にあるロイヤルグレースホテルの建設が始まりました。ロイヤルグレースホテルの建築を担当したのは、建築家の大倉達也氏で資生堂ビルや富士フィルムビルの設計を担当された経歴を持つ人物でした。千葉大学建築学科を卒業された後、米国のハーバード大学大学院にて修士課程修了。その後のご活躍は、米国、中東、ギリシャなど国際的に手腕を発揮され、素晴らしい建物を設計していきました。ロイヤルグレースホテル建設のための設計は、国際的な視点を持ち各国で磨かれた彼のセンスが買われ決定したのだと思います。建設後のロイヤルグレースホテルは天皇・皇后両陛下にご宿泊いただいたリゾートホテルとして有名になりました。ホテルの建物だけでなく、各々の部屋の家具、常設の設備、自然志向の料理など、すべてに心配りがなされました。ホテルの窓から美しいヨットハーバーを眺めることができ、どこか遠いリゾート地に来たような錯覚を起こすほど辺り一面美しく整えられました。ロイヤルグレースホテルは白を基調にブルーをポイントに活かした南欧風のデザインで、誰の心にも深い印象が残るデザインといえます。ホテルは淡路島という素晴らしい環境に建てられたこともあり、淡路島・ロイヤルグレースホテルとして大きな話題を呼び、全国からたくさんの訪問客が訪れました。

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『ROYAL GRACE HOTEL』
天皇・皇后両陛下が
ご宿泊されたリゾートホテル

丁度、ロイヤルグレースホテルの起工式が終わった頃のことでした。私のアトリエに知り合いからの紹介ということでホテル運営の関係者が訪ねてきました。ロイヤルグレースホテルの運営母体である(株)南インターナショナルが“グレースクラブ”というコミュニティーを新たに立ち上げたいと希望しているため、“グレースクラブ”の趣旨を掴んで企画を立て提案して欲しいというものでした。“グレースクラブ”の趣旨を伺う内に、とても夢のある楽しい仕事だと心ときめき、先方の依頼を快く引き受けることにしました。当時、私は渋谷・松濤の古めかしい洋館にオフィス兼アトリエを持っていました。(株)南インターナショナルは青山1丁目の青山ツインタワーに東京支店があり、私の愛車のカルマンギアーで快走すると20分程で着いてしまいます。青山ツインタワーに週3回は通いながら、“グレースクラブ”の立ち上げ企画やカタログデザインの仕事に仲間たちと共に取り組んでいきました。しばらく仕事を続けていると、ある日、会社の経営陣に呼ばれ、“グレースクラブ”の立ち上げと連動するようにロイヤルグレースホテルに付加価値を持たせるアイディアを練って欲しいと、新たな依頼を引き受けることにしました。こうして、ホテル運営のプロジェクト・メンバーとなり正式に参加することが決まりました。

grhcap_3『ROYAL GRACE HOTEL』
名前の由来は、
グレースケリーの“グレース号”

ロイヤルグレースホテルの運営と共に“グレースクラブ”を立ち上げることになった際、ホテルの名称にもクラブの名称にも使用されている「GRACE グレース」という言葉の由来を伺いました。「GRACE グレース」を英語を直訳すると「優美、優雅、気品、上品、しとやかさ」を意味します。そうした優美さをテーマにしたホテルやクラブを希望されているかと伺いましたところ、それらの意味合いだけでなく、米国の女優でモナコ王室のレーニエ3世の公妃となられた美しい女性グレース・ケリーの名前から「GRACE グレース」を賜ったことを知りました。実際にグレース・ケリーが使用していた豪華クルーザー“グレース号”を2艇を、運営母体の会社で所有してしていることにも由来していました。私は本プロジェクトで淡路島ロイヤルグレースホテルを訪問した時、“グレースI号”“グレースII号”を実際に見に行き乗せて頂きました。クルーザーの中に入ると、グレース・ケリーが使用したと思われる大きなベッドや化粧台もあり、遥かなる時を超えて淡路島にグレースの美しいスピリットが舞い込んできたかのような錯覚に包まれました。すると心の内奥から震えてきて、なぜか深い感謝の想いが溢れてきました。グレース・ケリーの美しさは永遠です。

grhcap_4『グレースクラブ』
グレースケリーの気品と優美さを
讃えたクラブとして発足スタート!

“グレースクラブ”のコミュニティーを立ち上げメンバーシップを募り、心の交流や文化交流をするためのビューティーカタログを制作することになりました。このカタログの制作に取り掛かる際、何よりも大事にしたのは名前の由来であるグレース・ケリーの持つ気品と優美さを讃えたデザインイメージにすることでした。全体イメージは淡いアイボリーをベースにシャンペンゴールドを合わせた気品の良さを前面に打ち出しました。カタログの紙面に白を使用せず、すべてアイボリーで統一し、最後にラミネート加工を施すことで、高貴で艶やかな印象をかもし出すことができました。当時の資料が手元に残っていないのが残念です。私たち企画チームは“グレースクラブ”のメンバー募集や運営には直接的には関わっていませんでしたが、クラブメンバーが自由に参加できる文化交流の場を企画することが任されていました。

grhcap_5(株)ラ・コミューン
オフィス兼アトリエは渋谷・松濤の洋館

当時、私は(株)ラ・コミューンという会社を立ち上げており、仕事の内容は主にデザインとプランニングでした。渋谷・松濤にあるアンティークな洋館をお借りしてオフィス兼アトリエとしていました。“グレースクラブ”の主なイメージデザインは雰囲気のある松濤の洋館から生まれたのです。“グレースクラブ”の仕事は新鮮なときめきがありました。プロジェクトメンバーはみんな仲良く、仕事をエンジョイしながら次々とオリジナル企画を立てていきました

grhcap_6『グレースクラブ』
バッハ生誕300年祭
記念コンサート  6つの無伴奏チェロ組曲

最初の文化交流は、クラシックコンサートを静寂な佇まいの教会で行うという企画で進めていきました。(株)南インターナショナルの専務さんはクラシック音楽の奏者だったこともあり、専務さんの推薦による奏者をお招きして文化交流の第1回目のコンサートを開くことになりました。コンサートのタイトルは『バッハ生誕300年祭 記念コンサート  6つの無伴奏チェロ組曲』に決定しました。記念コンサートで独奏チェロを奏でてくださったのはチェロ奏者の林 峰男氏です。林 峰男氏はスイス、ローザンヌに本拠を置き、国際的に活躍するチェロ界の俊英であり、“彼の弾くチェロの雄渾にうたいあげる抒情の極みと陰影の深さは、まさに悠揚迫らぬ演奏となって心に響くものである”と世界的に高い評価を得ているチェロ奏者です。
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『グレースクラブ』
国際的な評価の高いチェロ奏者
林 峰男氏

“1985年はJ・S・バッハ生誕300年の記念すべき年であり、バッハの曲の中でも、1720年に作曲された6つの無伴奏のチェロ組曲は、珠玉の作品として人気の高い名曲であり、この組曲を一夜にして演奏する事は、精神的にも肉体的にも厳しさを強いられるため、今まで実現された事がなかった。しかし、今回特に彼の独自のプログラムにより、世界で初めてここに実現される運びとなった”とこのパンフレットに記されています。これほど素晴らしい演奏を聴く機会に立ち会えたことは感無量の極みであると多くの人が思ったに違いない。“教会の静かな佇まいの中で独奏チェロの音色が鳴り響き、聴く者を圧倒する。汗がほとばしり、弾かれる弦の音が鳴り響く、すべてがエネルギッシュであり、宇宙をうねりのように天空を舞い、すべての垣根を取り払いながら、音を聴く者に時空を超えた世界を垣間見せる”そんな言葉がしっくりくる演奏会でした。生まれて初めてだった!これほど演奏に自らの魂を捧げ、昇華させるチェロ奏者に生まれて初めて出会ったと感動しました。もちろん会場にいた“グレースクラブ”のすべてのメンバーから大絶賛されました。

grhcap_8『グレースクラブ』
東京・原宿
東京ユニオン・チャーチを会場に

圧巻の独奏チェロが終わると、林峰男さんを囲んで西洋懐石料理による懇親会の始まりです。新鮮な野菜と沢山の魚介で工夫を凝らした美味しい料理を味わいながら、スイス・ローザンヌでの暮らし、音楽を通じての人生など、林峰男さんの言葉に耳を傾けながら、素晴らしい一夜を、贅沢なひと時を過ごすことができました。

今回のコンサート会場としてお借りした教会は東京・原宿にある東京ユニオン・チャーチです。静かな教会で独奏チェロを聴きたい思い一心で、私はスペースを貸してくれる教会を探して歩きましたが、中々教会の決まりなどがあり、簡単には許可がおりませでした。残念な思いで表参道を歩いていると、ふっと左手にこじんまりとした佇まいの教会が目に止まり、最後のダメもとで訪ねてみようと思い、今回のコンサートの企画を説明しました。すると、幾つかの決まりごとを守れるから貸してくださると言うのです。私は思わず興奮して、教会のスタッフを抱きしめてしまいました。それほど嬉しかったのです。東京ユニオン・チャーチは歴史をのぼれば、黒船の時代から人々に祝福を与え、悩める者に光をかざし、神に導かれるように祈り続けてきた教会であると教えていただきました。何か不思議なご縁を感じました。こうしてコンサート会場を確保できたのも、きっと天のお計らいに違いないと深く感心しました。

grhcap_9『TOKYO UNION CHURCH』
東京・原宿
東京ユニオン・チャーチ

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

『ROYAL GRACE HOTEL』
ロイヤルグレースホテル

“グレースクラブ”の立ち上げと連動するようにロイヤルグレースホテルに付加価値を持たせるアイディアを練って欲しいとの声を受け、早速、ホテルの付加価値を何にするか思い巡らせていると、リゾートホテルならではのリラクゼーションプログラムを作成しお客様に提供すしようと閃きました。淡路島の立地条件は素晴らしく、大自然が残り、淡路島の野菜も美味しく魅力的です。そうした環境をうまく活用しながら、リラクゼーションプログラムを作成するのは可能であると判断しました。まずはロイヤルグレースホテルの屋上にジャグジーのバス(お風呂)を設計することを提案しました。もし可能であれば、現段階からロイヤルグレースホテルの設計の中に盛り込んで欲しいと願い出ました。そして、屋上から満天の星を眺めながら暖かい湯船につかるだけで最高の癒しの時間になります。満天の星空が見える時、月の周期に合わせて変化するプログラムなど、次から次へとアイディアが浮かび、ワクワク楽しくなってきました。建設には色々な制約があるとのことで、簡単には進みませんでしたが、幾つかのハードルを越えるとスムーズに展開していきました。

grhcap_10ロイヤルグレースホテル起工式の様子

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

屋上にあるジャグジーのバスを活用したリラクゼーションプログラムには、次々と新しいアイディアが盛り込まれました。ホテルで提供する料理に関しては、自然志向を基軸に当時としては斬新なそば粉で作るクレープ料理や有機野菜のサラダ、海藻をふんだんに取り入れた新感覚の創作料理など料理のメニューも次々と考え出されました。ホテル運営のプロジェクトメンバーとして参加しながら、みんなでアイディアを出し合いディスカッシュンすることで企画はさらに洗練されていきました。こうした仕事の流れもあり、幾度となく淡路島を訪れ、白を基調とした南欧風のリゾートホテルであるロイヤルグレースホテルに足を運ぶこととなりました。

ロイヤルグレースホテルの美しい眺望は心をオープンにし時間を忘れしまうほど魅力的なものでした。ホテルのお部屋はサントピアマリーナを眺めるハーバービュータイプと紀淡海峡を望むオーシャンビュータイプがあり、どちらも魅力的な眺望でした。特に最上階の展望は格別で、紀淡海峡を一望することができました。果てしない空の広がりと大海原の広がりは都会から持ち込んだ不自然な思いやエネルギーを開放し、深いやすらぎに心身は満たされ癒されていくのでした。
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美しいオーシャンビューに癒されて

ロイヤルグレースホテルを最後に訪ねた時のことですが、どうにもならない生と死をさまようような体験をしました。淡路島は大阪・三宮駅から洲本バスセンター行きのバスに乗り約1時間20分、終点でバスを下車してホテルの送迎で7分〜8分で到着するのですが、今回は西宮からセーリングクルーザーに乗って淡路島へ行こうと提案が出され、男性3人と女性2人の合わせた5人でセーリング&クルージングしながら明石海峡を見渡しながら大海原を横断することになりました。西宮と淡路島はおおよそ30マイル(約60Km)程度。朝早く起き、朝食を取った後、西宮のヨットハーバーにメンバーの5人で到着すると、突然、雲行きがあやしくなり今にも雨が降りそうな気配に包まれました。西宮ヨットハーバーのスタッフは「今日は悪天候になるので船を出すのは無理です」と注意をしたにも関かわらず、メンバーのリーダー格の人が「この程度なら大丈夫、さあ、みんな出発だ!」と、先導役のヨットマンの肩を叩き、出発することが決まりました。「悪天候が少し心配であるが、ベテランのヨットマンが一緒なので心配ない」と断言し、出発への準備を整えました。いざ、西宮ヨットハーバーから出発したものの、悪天候の影響を受け、次第に本来の軌道から外れて行きました。時間の経過とともに風はますます強くなり、雨も降ってきました。また海の波しぶきが激しくセーリングクルーザーの帆に叩きつけられたこともあり、ますます舵取り不能な状態へ向かいました。西宮に戻ることもできず、淡路島に辿り着くこともできず、さらに風は強まり、雨も勢いよく降り、視界もはっきり見えなくなり、そう、気づいた時には嵐の真っ只中、私たちは行先も失い大海原に漂流していました。

*****grhcap_12セーリングクルーザー
晴天なら最高、悪天なら最悪の体験となる

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セーリングクルーザーは勢いの強い風にさらに押されるかのように揺れが激しさを増し、じっと座っていることができなくなりました。あまりの揺れに船酔いする人まで出はじめ、はきけがにおそわれて吐くたびに、口から出たものが空間を飛んでいきます。ヨットの中にある荷物も揺れる度に右から左へ、左から右へと勢いよく飛んでいきます。セーリングクルーザーの外ではベテランのヨットマンが必死に帆を握りながら舵取りをしているものの、まったく思いとは裏腹に真逆の方向へ勢いよく投げ出されてしまいました。嵐は弱まる様子はなく激しい雨はヨットの中にまで打ちつけ、さらにヨットが傾くと打ち寄せる波がヨットの中にまで入ってくるため、私たちはずぶ濡れになりました。ベテランのヨットマン1人が外で踏ん張り、セーリングクルーザーの中にいるリーダー格の男性状況を心配しながら凍えた体を丸め寒がっていました。こうした緊急事態では女性の方が腹が据わっていて、状況を判断しながら自分ができることを探そうとするものです。1組の男女は恋人同士ということもあり、女性が毛布で寒がる男性を温めていました。私はひたすら飛んでくるものを防ぎながら、無事に岸辺にたどり着けるよう天に祈りを捧げました。ベテランのヨットマンが私たちのに向かって何か叫んでいました。立ち上がって耳を澄ませてみると、「聞こえますか、中にいる皆さん、どうも船は遭難したようで状況は厳しく、船は転覆する可能性があるので、救命具をつけるように」と大声で指示していたのです。私は救命具を探し、みんなに手渡しした後は、どうにかこの嵐がおさまるよう天に祈りました。私たちは嵐の中で漂流しながら、只々、どこからともなく訪れる奇跡を待つしかなかったのです。すでにヨットの中には水が溜まり、ますます状況は思わしくない方へ向かって行きました。男性陣は半ば諦めたような表情でどうすることもできない自分を責めていました。私はひたすら祈り続けました。漂流して幾時間か過ぎた頃、雨音が緩やかになったように感じた私は、ヨットから外を覗き、天空に向かって大きな声で叫びました。すると一瞬、時が止まったような瞬間が訪れました。その時、私はなぜか祈りが天に届いたと確信したのです。それから数十分後、もの凄い嵐は勢いを緩め、やがて波も激しさを緩め、転覆寸前だった状況は回避されました。風は少しずつ緩やかになり、まるで私たちを待つ岸辺に運んでいくかのようでした。ベテランのヨットマンがヨットが辺りの様子を見るため外に出ると、「岸辺が見える!岸辺が見える!」と大声て叫び始めました。これでもう大丈夫、私たちは生死を彷徨いながらも、どうにか岸にたどり着くことができたのです。それに不思議なことに、私たちを待つ岸辺は知らない場所ではなく、目的地であった淡路島の洲本のヨットハーバーでした。嵐の中で漂流したにも関わらず、私たちは無事に目的地に到着したのです。この奇跡的な出来事は一生忘れない思い出となりました。私たち5人は幾時間もヨットで漂流し、大海原を彷徨い道を失った旅人そのものでした。

岸辺に着いた私たちはヨットから降りることができました。ただし、ヨットから降りても、頭の中、身体の中は揺ら〜揺ら〜揺れていて、まっすぐ歩くのも難しい状態でした。ヨットを降りてからの三日間は吐き気を伴いながら揺れていて、妙な揺らぎの中でホテルライフを過ごしました。四日目になると心身は正常な状態に戻りはじめ、ほっと安心しました。この経験を肝に命じ、大自然の脅威を甘く見てはいけないと大反省をしました。私は仲間から離れひとりになり、ホテルの部屋の大きな窓から広大な海を見つめながら、「ごめんなさい。いのちを大切にします。私たちを助けてくれてありがとう、心から感謝しています」とつぶやきました。窓の向こうでは夕暮れの空に茜色の雲が鮮やかに映え、優しいヴェールで私のハートをそっと包み光のエネルギーで癒してくれるようでした。

ロイヤルグレースホテルの滞在期間中は、各々の部屋に新しく配置されたヨーローパの家具たちを見ながら、のんびり過ごすことができました。今回の訪問の目的でもあり、私の提案で設計された「屋上のお風呂」を拝見するのが楽しみでした。「屋上のお風呂」は夕暮れのまばゆい光に照らされ、そこに静かに佇んでいました。まだ誰も使用することなく、真っ白な浴槽は夕陽に照らされきらきらと輝いていました。私はとても満たされた思いでお風呂に触れ感謝を贈りました。当時は「屋上のお風呂」を作ることは建築法で違反になるとのことで、最終検査を通過させるためには、ちょっとした創意工夫を凝らさないとならないと設計事務所の方がおっしゃいました。後に、ホテルのマネージャーさんから「屋上のお風呂」が無事に検査を通過したことを伺いました。まだまだ露天風呂やプールなどを設計する際の制約が今の時代より厳しかったのだと思います。

淡路島・ロイヤルグレースホテルを訪問し、旅の目的を果たした私は、数日後、東京へ向けて出発しました。美しい淡路島の風土に触れ、青い空や青い海からもいっぱいのエネルギーをもらい、地産地消の美味しいお食事をいただき、素晴らしい時間を過ごすことができました。

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ロイヤルグレースホテルは、1995年1月の阪神・淡路大震災を迎えるまで多くの訪問客を迎え賑わいました。大震災の後は淡路島への訪問客が激減し経営状況は厳しくなり、どのようになるのか心配でしたが、現在は洲本に本拠地を置く株式会社ホテルニューアワジにより「海のホテル 島花」としてリニューアルされ、多くの訪問客を迎えています。淡路島に建つ真っ白なホテルは、そうした時代の流れを見つめながら、今日も人々の憩いの場として素晴らしいスペースを提供しています。

grhcap_14『海のホテル 島花』

追記

ロイヤルグレースホテル&グレースクラブの仕事を通じて貴重な体験をした。ひとつの事業をみんなで力を合わせ試行錯誤しながらもやり遂げる喜びは大きい、皆んなの意見をフリーディスカッションしながらより洗練された方向へ導かれることの喜びも大きかった。数々の音楽会やイベント交流会など文化活動を通じて体験したことや心の感動を忘れることはない。また、嵐の航海で自然の脅威を思い知らされたこと、自然が織りなす美しい神秘な時間、困難に思えることでも必ず解決策はあり、常に前向きに考え物事に対処することで道は自ずと開けるなど、多くのことを実施体験として学んだ。今頃、みんなはどこで何をしているのだろう、彼らが幸せでいることを心から祈りたい…

合掌

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

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